犬岩周辺の海岸清掃 & 現地見学会

■ 犬岩周辺の海岸清掃 & 現地見学会

犬岩0804Ed
<図1.犬岩と海>

 
毎月第三日曜日(9時~10時)に、銚子ジオパーク推進市民の会とナルク銚子の共催で実施している、恒例
犬岩突堤3合成Ed2の「海岸清掃」。 今月は犬岩と犬若岬周辺の番で、1月18日(日)に実施されました。
 当日は快晴とはいえ、気温は氷点下。それに拍車をかけるように北風が吹き荒れるという悪条件の下、32名の方が参加してくださいました。

漂流物の他に、タバコの吸い殻など明らかに・・・と思われるゴミも多く、集められた大量のゴミの山に、いつものことながら複雑な思いでした。皆様、本当にお疲れ様でした。
                            <図2.犬岩沖正面に浮かぶ富士山と強風下の見学者
 清掃の後は、これも恒例になっている現地見学会。
 今回
趣向を変えて、以下のような構成を、市民の会事務局とガド担当3班で企画しました:

犬岩突堤1Ed

         犬岩の成り立ち
(江戸の風景画に描かれた犬岩
・付加体・海食洞・波の花)
    ② 犬若岬の堆積物
(不整合・級化層理・斜交層理・皿状構造)
    ③ 犬若岬の植物(植物の冬越し)
     犬若岬周辺の水産物(伊勢海老ほか)
     伊能忠敬と犬若岬(富士山の方位測定)

上記①~②の地層に関する部分は、1月7日・8日に実施された巡検で桂雄三先生にご指導頂いた内容を反映した、今回の企画の目玉でもあります。
<図3.①の犬岩に続く兄岩・父・祖父(それぞれ、通称) ヘッドランド側から見学

犬若岬_皿状構造4Ed巡検に参加されなかった皆様に巡検の成果を早めにお知らせすることを第一目的に、一般参加者が少ない冬場を狙った民の会の内部研修を第二目的、このような企画になりました 

この企画を踏まえ、3班5名+5班名がガイドとサポーターを順次担当して、現地見学会が実施されました。

現場の地層確認のため、テントも張れない強風の中を移動しながらのご案内でしたが、上記④だけは、事務局の大型車の陰で椅子に座ってホッコリ暖かく話を聞くことができました。  <図4.②の皿状構造を解説するガイド

ロゼット化浜払子Ed2強風には利点もあり、上記⑤では、本家の台(犬若岬の上部)に登ると、昼前になっても富士山がクッキリと見え、伊能測量の方位を実感できました。

今回の企画についてのお知らせは、事前に民の会の「ジオ広報」ブログに記載され、75名の閲覧があり、ブログを見た東京の方も、はるばる銚子までお越しくださいました。

現地見学会の参加者合計は23名で、内21名は銚子市内の方でした。冬場で、通りがかりの一般参加者はありません  <図5.③のロゼット化して冬越しするハマボッス     でしたが、市民の会の方には普段より多く参加して頂きまし    浜払子右手の茶色の玉は去年の実     

 今回、私は上記②~③を担当しましたが、月例見学会でこのような企画は初めてのこと、準備期間を含め、有意義で貴重な研修になりました。このような研修の機会が、また実現することを期待しております。

 文責 : 白土 紀子、 画像(図2~4)提供 : 江波戸 正徳
 画像(図1&5)提供 & 文と画像の編集:HP&ブログの担当スタッフ  i n  銚子ジオパーク推進市民の会
 
 

第2回ジオパーク関東地区大会 『箱根大会』

第2回ジオパーク関東地区大会 『箱根大会』・・・10/28()-10/29()・・・

ジオパークの楽しさを伝える地域づくり ~ジオパークのおもてなし

◇ 基 調 講 演   
10/28(火) レイクアリーナ箱根    午後1:20-3:20

箱根ジオパークの拠点施設としての取り組み   午後1:20-1:42

               箱根ジオミュージアム 学術専門員 山 口 珠 美 氏 

 箱根は、東京から90kmと首都圏に近い国立公園のため年間2千万集客(日光1100)を誇り、火山群とカルデラ・国府津松田断層など自然地質遺産/一夜城など歴史遺産に恵まれている1(小田原)3町(箱根・真鶴・湯河原)北と南をつなぐ自然のみち/東と西をつなぐ歴史のみち41サイトから成り、ガイドは㈱ホールアースや各種ボランティア団体、協議会事務局は箱根町企画課GP推進室にあります。拠点施設である箱根ジオミュージアムは、2014.4.10大涌谷の黒たまご館に開設され①自然②歴史③おもてなしをキーワードに、体験型・触れる展示を心掛け、箱根の大地の成り立ち・・・40万年前からの何回かの火山噴火(富士山は8万年前)の火山群とその中心部での真鶴半島に至る火砕流を伴う大規模噴火によるカルデラ(東西8km南北11km)/外輪山/中央火口丘の形成後、何度かの爆発的噴火(殊に6.6万年前の大噴火では東京軽石と呼ばれる噴出物を南関東各地に堆積)後、神山・二子山等の溶岩ドーム型火山火口丘が形成された。3千年前の一番新しい噴火による冠ヶ岳の出現直後、神山の山体崩壊による岩屑なだれで大涌谷、また、船見岩・大石などの流れ山や早川が堰き止められ芦ノ湖ができた等のパネル展示・・・岩石20種や取り地層などの地質・地形関連の展示に加え、黒たまごの秘密/湯守(温泉造成塔の管理人)の紹介などでジオ・自然の恵み人との関連展示してる外、ミュージアムスタッフやパークボランティアによるジオツアーを行う。 


 ②ジオパーク活動の広がりと各地域で抱える問題     
 午後1:43-2:42

特定非営利法人日本ジオパークネットワーク(以下JGN)事務局長 斎 藤 清 一 氏 

 市職員として糸魚川ジオパーク(以下、G.P.)に当初からど素人で関わり20091月より東京事務所長兼日本ジオパーク連絡協議会事務局長でJGN設立・法人化に関わった6年は楽しかったと述べられた斉藤氏は、JGNJGC(委員会)GGN(2000年欧州G.P.N.W.から2014年世界G.P.N.W)などG.P.組織理念(人・生態系・地質地形などのG.P.資産/その保全/教育/地球・人を理解するジオツアー等、観光を通して持続可能な地域振興を図る)にふれつつ、JGN全国大会の参加者(#1糸魚川500人・#2洞爺湖/#3室戸の千人・#4隠岐と回を重ねるにつれ#5南アルプス2日で5千人)やジオパーク認定の増加は、2000年4月の地方分権一括法施行による①国・地方の役割分担の見直し②地域の経営資源を最大限活用した「自主自立の地域づくり」に伴い、地方自治体にとっては、G.P.は渡りに船」だったとの見解を述べた。

 JGNの課題への対応として、G.P.の将来像・・G.P.千年構想委員会によりN.W.の力による解決を模索、②一般社会・市民の受け入れ・・G.P.村自己満足の陥穽に対してはG.P.活性化部会を設置、する等していること。また、自治体などローカルの課題では、協議会構成メンバー連携と活性化/ガイド養成/ジオツアー実施/商品開発など、自治体・市民近隣市町・県との連携/住民への浸透参加/商品開発 学校研修スキルアップ/指導書副読本/カリキュラム化/講師派遣など。然らば、N.W.活動とは如何なるものかは、自立した個人組織が柔軟かつ協働、コミュニケーションを密にして連携するがこれまでのJGNNWの歩みであり、地域でのN.W.活動とは、持続可能な地域振興で個人各組織目的達成にあり、またG.P.で町が変わる!を目標として、検定地域意識のめざめマスター商売への転換合格者へのサービス品質向上の意欲融資(201346G.P.振興資金?)更なる事業展開の「好循環」を軌道にのせたい。

室戸は、2013年より3カ年計画を推進中で、出入り自由・自由参加のG.P.活動推進チームによるツアー企画交渉チラシ/パンフレット等の作成G.P.活動の課題発見解決策の模索など、活発かつ有効な活動がなされています。こうした先進事例にみられるように、G.P.活動目的ターゲットの明確化G.P.活動活発化具体的プランの策定など、『今できることから始める!!ことが重要ではないのか。具体的には、『どんな地域にしたいのか?』「自分に何ができるのか?」を自ら(個人/組織)に問いかけることとの問題提起がなされた。

 ユネスコエコパーク・日本での地方創生/環境省G.P.担当係長新設/G.P.推進議員連盟設置の動き/2020年東京オリンピック等、G.P.活動にとって好ましい環境に恵まれていることから、『本気で取り組めば、日本一に或いは、世界一になれる!!との言葉で講演を終えた。 

 
 ③ジオパークは誰のもの? ~洞爺湖有珠山における住民運動~    午後2:45-3:20

洞爺湖有珠山ジオパーク推進協議会  事務局員  畑 吉 晃  氏 

 「ジオパークは誰のもの?」との刺激的な問題提起答えは、『地域住民』であり、G.P.活動には、市民にとって①ふるさと発見②ふるさと自慢③地域を豊かにの3要素がある。2013.7.24-27GGN再審査にあたり、審査委員から、多くの人の参加が期待でき防災教育に優れているとのお墨付きを得たが、洞爺湖有珠山G.P.のコンセプトは変動する大地との共生であり、1663年から20-30年毎に9回・20世紀4回の噴火があり、1910年大森房吉博士の薫陶うけた飯田清一室蘭警察署長の1万5千人を避難、1977年北大火山研究所の設置、2000年噴火の際6ヶ月前から前兆があり32時間前には全員避難(260億円被災の大規模災害にもかかわらず死者ゼロ)等の実績があり、2000年を契機2002年周辺地域エコミュージアム宣言/2006年周辺地域G.P協議会/2007年胆振火山マイスター/2011年火山マイスターネットワーク/等の実施・創設により、科学者を核に行政マスメディア住民「減災四面体」での連携が機能しています。語り部としての「火山マイスター」は、北海道・洞爺湖有珠山ジオパーク推進協議会により認定され、『学びと伝えの実践者』として、「学び・よく知り、仲よく・伝え」をモットーに、知識とコミュニケーション力が重要であることまた、各々が各々の立場で考えられる実践主義・行動が認定後には問われること、等など、35認定「火山マイスター」の存在が、小学6年生用ジオ・テキストや私設のナチユラル・ハウスの利活用ともども、G.P.な人々」を増大させるとともにG.P.活動」のより広範な啓蒙・普及に役立っているとして、プレゼンテーションを終えた。  以 上


◇ 分科会   10/28() ホテル大箱根    午後4:20-:20


◇ ジオツアー  10/29() Aコース『箱根火山最高峰神山大崩壊の後を歩こう』

 翌日のジオツアーは、銚子からの一行は全員、Aコース『箱根火山最高峰神山大崩壊の後を歩こう』に参加した。まず、箱根ビジターセンターに集合、ビデオで国立公園「箱根」の概要について、次いで、箱根のジオラマを囲んでボランテイアガイドの説明を受けたが、さすが、国立公園のビジターセンターだけあって立派な拠点施設??で羨ましく思った。

 センター駐車場から「大涌谷自然探勝路」に入り、ブナ林と神山大崩壊による流れ山と呼ばれる数々の巨石や箱根特有の植物についてボランティアガイドの説明を受けながら、大涌谷までのハイキングを楽しんだ。植物には門外漢の僕にはその説明は無理なので他の会員にまかせたいが、昨日宿泊の宿舎の名が箱根特有の樹木「ひめしゃら」由来であると知った。ここで、富士山と芦ノ湖の絶景を目前にしてジオ弁当を食したが、銚子のジオ弁当には到底及ばないと感じた。昼食後、黒玉子館の一階(地階?)に今年四月に箱根町によって開設された拠点施設「箱根ジオミュージアム」を訪問。昨日の基調講演トップを飾った(?)学術専門員 山口珠美氏の出迎えを受け、展示室手前の「体験型ルーム??」において「火山灰の上空での滞留」・「溶岩の粘性の違いによる溶岩の流れ」など、解りやすく面白い実験と説明はユニークかつ工夫されたもので有益だった。その後の展示室で観覧に入ったの、ですが、10分もない(5分強?)うちに集合がかかり、展示をほとんど見れなかったことが非常に残念だった。その後の「大涌谷の硫気荒原散策」を短く或いはカットしてでもじっくり観覧したかったとの思いが強く、非常に残念だった。 

 その僅かな時間で、偶然発見した「火山学」関連の1枚パネルに町田洋氏の名を見出したのだった。火山学研究の三大エポック??みたいなパネルだったと思うのですが、①(箱根の)火山研究・・1880年代に、和田維四郎(鉱物学?)・小藤文次郎(岩石学・テクトニクス・濃尾地震の根尾谷断層)・鈴木敏(???)3氏・・②1930-1960に、火山学・岩石学(輝石で学士院賞)で久野久氏 ③1960-1970に、火山灰で町田洋氏(広域テフラ・関東ローム)の人名・写真と研究内容(?)とが掲載されていました。

 是非とも、再度訪問したいのですが、次回は、何時行けるかなあ。        以 上

    文責 銚子ジオパーク推進市民の会 椿 敬一郎
 

千葉県立関宿城博物館・訪問記

10/7()-11/30()に開催中の企画展
                                       

「通運丸で結ばれた関宿・野田・流山」・・・海運へのターニングポイント・・・

展示構成は、
  ①和船時代の水運・・・川で結ばれた町/物資輸送の主役 船・・・

②通運丸の就航・・蒸気船/内燃機船・・ 
  ③繁栄する関宿・野田・流山/町の状況

④船の輸送のうつりかわり・・・通運丸の終焉/競合する交通手段と自然災害・・・

              ・・・貿易振興と海運政策・・・海の彼方に・・・
 

・講演要旨  物流博物館・学芸員 玉井 幹司 氏  平成261019()13:30-15:30
   

 レジメによると、和船時代の関宿銚子間(30)下り20時間上り7-8日、関宿東京間(20)下り2(急行半日)上り4(無風時は5-6日も、急行2)を要した。

利根川は、野田の瀬戸以西から関宿までは水深が浅いために、明治の汽船時代になってからは利根川・江戸川の汽船ネットワークから除かれていたようだ。関宿行徳間4時間半の汽船・行徳木下間の9時間の徒歩陸行・木下銚子間汽船の7時間半の計21時間(除、休憩・宿泊時間)を要した。明治16年の陸路連結(22時間、江戸川の加村・新川/利根川の大室・船戸)航運いろは丸、対抗内国通運丸関宿下野田間2時間弱・下野田・三ッ掘の陸路2時間・船戸銚子10時間で計14時間、明治23利根運河開通・26年汽船通行許可直行便で、江戸川の関宿深井間2時間半・運河と利根川の深井銚子間11時間弱の計13時間に短縮された。以下、銚子との関連に絞り下記に纏めてみる。
 

   銚子・東京間汽船航路・・・利根川・利根運河・江戸川・小名木川経由・・・           

下利根航路(利根川の関宿以東)は、明治4年深川中田(栗橋の対岸)間に就航の利根川丸が、明治56月関宿銚子間に出願するも同年7月には布佐銚子間に就航し鮮魚輸送、明治7年盛運丸・衝鳳丸、8年信義丸が木下銚子間に就航、激しい運賃競争を行う。

 内国通運(4年の官営郵便発足に伴い5年江戸の定飛脚問屋が陸運元会社設立、6年太政官布告第230号で12年まで運輸の自由営業禁止・陸運元会社への入社・合併を半ば義務化したため、国内の陸上・水上輸送をほぼ独占水陸輸送の全国ネットワークを完成。明治8年内国通運会社と改称、後の日本通運が「通運丸」を就航させ、明治10東京高浜(霞ヶ浦)6往復、境銚子にも運航するが水深が浅いゆえか不定期であり、毎日1往復木下銚子間・木下高浜(霞ヶ浦)間に運航。
 13年の運輸独占解消後の168以降、東京銚子間航路は、競争相手の航運会社・銚子汽船との運賃・速度競争(上述の陸路連結)が激しくなり、内国通運も利根川の布施/江戸川の加村の陸路連結により両国銚子・両国鉾田間に航路開設する一方、銚子汽船との航路分担協定を締結後は、利根川方面は銚子汽船と木下の連合汽船/江戸川方面は内国通運の分担・連携を行い、利根川の船戸/江戸川の新川と利根川の瀬戸・三ッ掘/江戸川の野田(今上)22時間の陸路連絡で、東京行徳・木下銚子の汽船航路と行徳木下間35キロ徒歩9時間2日間行程が26時間23利根運河開通後船戸乗継ぎ20時間直行便18時間に。
 明治40年頃には内国通運・銚子汽船が同盟し航路を制圧(二分するも)、大正元年内国撤退で銚子汽船の貨物独占化も、
高速・短時間輸送を可能とした鉄道普及による物流革命により、昭和4年の内国(より大正8年「通運丸」事業を譲渡された「東京通船」)・8年「銚子汽船」の旅客撤退で、『下利根航路』はその役目を終えた。

                                           文責 銚子ジオパーク推進市民の会 椿 敬一郎

 
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