大利根分館 企画展 『香取海がもたらしたもの』 訪問記

企画展 『香取海がもたらしたもの』 【注】_訪問記

水郷佐原水生植物園617_165610_1Ed 千葉県立中央博物館大利根分館で、5月31日(土)~6月29日(日)の間、企画展『香取海がもたらしたもの』が開かれています。
 期間中の土曜日には、博物館研究員による、展示の解説があります。これに、「銚子ジオパーク市民の会」のスタッフが参加し、以下の訪問記を寄せてくれました。

香取海618_002058_1Ed 梅雨の中休みで晴れた 6月14日(土)、「水郷佐原水生植物園」の「あやめ祭り」で、道は混んでいると覚悟していました。ところが渋滞もなく銚子から           【図1.あやめ祭り       1時間で現地に。  

 さすがに植物園は混んでいましたが、駐車場への誘導を無視して奥へ進み、博物館に着きました。

           【図2.香取海        先に常設展示を見て回り、13時30分から企画展の展示説明会です。
   解説者は、千葉県立中央博物館  大利根分館  主任上席研究員(日本考古学)の豊田佳伸氏です。

縄文前期関東遺跡617_130354_1REd   主な展示品は、下総地域の古墳から出土した埋葬品です。
   香取海(カトリノウミ)は、縄文海進により海水が流入して発生しました。
   この時期の取海を古鬼怒湾(コキヌワン)と呼ぶ事があります。霞ケ浦・印旛沼・手賀沼をひと続きにした、広大な規模の内海でした。
  また、
様々な河川が流れ込み、古くから、水上交通を通じて、独自の文化圏・経済圏が形成されていました。

立花石枕618_003804_1Ed 特に、石材の産出が少ない房総では、石器や石棺などの供給を、北関東に頼っていました。                     【図3.縄文前期関東の遺跡分布        今回の展示に多数あった石枕の石材も、筑波石など、香取海や河川を利用して持ち込まれたと思われる、北関東の石が使用されていました。

三角縁神獣鏡617_130511_1REd 石枕を使用した埋葬方法は、4世紀中頃、西日本を中心に「枕造り付け             【図4.石枕】         棺」の盛行があり、5世紀にはほとんど姿を消しています。

 5世紀に房総で単独の石枕が採用される要因として、畿内などの影響が強かったと思われています。立花(リッカ)という勾玉を合わせた形の石製品も見られます。

人物埴輪617_130605_1Ed 古墳に埋葬される人も、前期の祭祀的な性格の人から、軍事的な権力者へと変化していきま         【図5.三角縁神獣鏡       す。れにより、墓に納められる物も、武器や甲冑具などになっていきます。    何と言っても、旧小見川町の「城山1号墳」の遺物は、大変素晴らしいものでた。

 古墳時代、大和朝廷の北への勢力拡大の拠点として、水上交通の要であったこの地方に、力を持った一族が繁栄したと思われます。

   以上のような展示説明でしたが、私としては、「その頃の銚子はどうだったか?」が、大変、気になりました。

  画像 : 企画展パンフレットより引用。石枕以外の埋葬品は、城山1号墳出土。
 

 余談ですが、古代の香取海を体感出来る所があります。印旛沼に近い成田市にあ天然温泉です。源泉の水を舐めたら、ビンテージものの海水の味!!まろやかな       【図6.人物埴輪】     塩辛さです。露天風呂で一緒になった老婦人が、「昔、ここは海だったのよ!」と、おっしゃっていまし た。銚子の温泉水は、現世の海水の味ですね。
 

                             文責と画像提供 : 房州 文子 (編集 : HP&ブログの担当スタッフ
 

【注】  企画展 『香取海がもたらしたもの』 千葉県立中央博物館  利根分館
                  2014/05/31(土)~06/29(日)9:00~16:30 >
 

「秩父ジオパーク」訪問記(下)

秩父ジオパーク_訪問記
                                              
≪ (上)から続く ≫

⑰博物館解説140422_151151Ed この博物館は、上長瀞の秩父鉄道「鉱物植物標本陳列所」(大正10年創立)と、地元有志による金崎「秩父岩石化石陳列所」(大正11年創立)を起源に、戦後、「秩父自然科学博物館」として秩父鉄道がこの種の博物館として初めて開設、後に、県立へ移管した。
 ここでは、学芸員ならびに吉田建一氏の説明を受けた。
 吉田建一氏は、館内展示の「チチブクジラ」を発掘したことで知られる。

 次いで、宿泊先のルートイン秩父でチェックイン後、秩父市役所に移動し、
『秩父ジオパーク推進協議会』総会に合流、参加した。                  【図6.「自然の博物館」内の解説】
 そこで、事業決算報告、今年度事業・予算審議の後、総務省補助のH25定住自立圏等推進調査事業である
『地球科学学習観光』推進事業の報告を傍聴させて頂いた。 以下に、その報告の概要を示す。

 観光ニーズの多様化に伴い、エコツーリズム・グリーンツーリズムと並び、楽しく学ぶ『ジオツーリズム』も脚光を浴びつつあるものの、地質・地形というやや難しい題材であるため、敬遠されがちだが、『日本地質学発祥の地』と言われており、首都・東京にも近い『秩父』で、地球科学・学習観光の楽しさと、その情報発信による集客を図り、ジオパークを切り口とした地域振興を目的として、以下の4点を柱とした構想を持つ。

   ① ジオパーク秩父列車の運行、
   ② ジオパーク・バスガイドツアー、
   ③ PHV・EVのレンタルによるジオサイト巡り、
   ④ ジオキッズ育成

⑱旗の交換_宴会140422_193932Ed これに基づき、秩父圏一市四町・姉妹関係の豊島区・荒川区の住民を対象に、昨年9月から今年1月に亘り、20回実施の『地球科学学習観光・秩父モニターツアー』(定員20名のバスツアー10、首都大学東京・放送大学埼玉学習センター・環境省「源流シンポジウム」・SLジオツアー・銚子ジオパーク視察などでのインタープリター養成・学習活動など10)で、延べ311人の実績を上げた。 

 総会散会後、徒歩数分の蕎麦処「立花」にて交流会が開かれ、「秩父音
       【図7.ジオパーク旗の交換】      頭」や秩父夜祭の際に山車の上で演奏される「秩父太鼓」の披露がなされる等、大いに交歓を行なった後、散会し、ホテル入りとなった。

㉑芝桜の丘_近景0068Ed 翌23日は、先ず、ホテル裏の中位段丘「羊山公園」にバスで向かい、石灰岩の大きな露頭がある山=武甲山を背景に展開する『芝桜の丘』を鑑賞した。ここは、2000年以来、9種40万株を植栽し、デザインは「秩父夜祭」の囃子手の襦袢の模様や躍動感を表すそうで、近年有名になった。 

 次いで、赤平川を遡り、秩父から佐久地方(長野県)に至る白亜紀の「山中地溝帯」の東端に当る『犬木の不整合』を見学した。「山中地溝帯」からは、アンモナイトやトリゴニアの化石も見つかっている。
㊱犬木の不整合140423_100249Ed  不整合の下部は、1.3~1億年        【図8.「芝桜の丘」近景】 
前の「白亜紀前
期」の泥岩・頁岩層で、銚子の「銚子層群」に相当する上部は、1,700~1,500年前の「新第三紀中新世」の砂岩・礫岩層で、銚子の「夫婦ヶ鼻層」に相当する。
 この不整合の下流100mの赤平川の床からは大型脊椎動物パレオ・パラドキシアの化石も見つかっている。秩父鉄道のSLパレオ・エクスプレスは、この古代動物の名称に由来する。

       【図9.「犬木の不整合」】       次のジオサイトに移動する際、下車しなかったものの、高位段丘の「尾田蒔丘陵」を通過した。ここには、リゾート法を契機に整備された公園『ミューズパーク』がある。
 公園内の「旅立ちの丘」は、地元の教師が作詞作曲し、今では全国の小中学校の卒業式で歌われる、『旅立ちの日に』を記念している。

㊳ようばけ0094Ed 再び秩父市街地に戻り、次は、小鹿野町立『おがの化石館』を訪れた。
 ここには、地元の人が寄贈した化石や、町が購入した多数の化石等が陳列されており、大正5年に岩手農林学校の巡検で来秩した宮沢賢治【注】の歌碑もある。
    「さはやかに 半月かかる 薄明の 秩父の峡の かへり道かな」

 化石館の駐車場からも望むことのできる『ようばけ』は、「太陽の当たる
崖」が名前の由来で、赤平川の浸食で巨大な崖が露出し、「日本地質100選」に指定されている。銚子の「夫婦ヶ鼻層」に相当する2千万年前の「新第       【図10.「ようばけ」】 
三紀中新世」の露頭で、ジオ説明板が化石館の駐車場に設置されている。
㊶取方の大露頭0101Ed 『ようばけ』の上半部「鷺の巣層」は砂岩泥岩互層。下半部「奈倉層」は砂岩層で、カニやホタテ貝の化石が見つかる。盆地内の南から東に分布する「奈倉層」では、他にも、パレオ・パラドキシアやチチブクジラ・ウミガメ等の海生脊椎動物化石を産出する。 

 赤平川を下り、最後に、ジオサイト『取方の大露頭』を見学した。ここでは、赤平川を挟んで、手前の川岸にジオ説明板、向う岸に露頭があり、迫力ある大露頭を眼前に見ることができた。                                                              【図11.「取方の大露頭」】        この露頭では、海底にあった時の地滑りで出来た「層間褶曲」を持つ「新第三系」に対して、「第四系」はごく上部に、不整合に堆積している。 

㊺秩父農工高跡地記念碑台座_ジオ看板140423_124043Ed 以上で秩父ジオサイトの訪問研修を終えて、「西武秩父」駅に戻った。

 駅前に、『不思議なこの石、何の石?』と題するジオ看板がある。
 「秩父農工高跡地」記念碑の台座の石は、海洋プレートに運ばれた付加体の一部で、海山に由来し、3億年前のウミユリ化石も含まれ、「日野龍眼石」と呼ばれる貴重な石らしい。

 駅隣接の「仲見世通り」や駅周辺で、各自、昼食やお土産購入などで自由時間を過ごした後、秩父を出発した。                              【図12.「秩父農工高跡地記念碑の台座】 

 午後2:40に関越自動車道・花園ICに入った。3:10~3:25に三芳PAで交通情報を得て、オバマ来日による渋滞を懸念していたが、やはり美女木JCT過ぎまでは渋滞に嵌った。            
 しかし、それ以降はスムーズに首都高速と外環道を抜け、5:00に湾岸線に合流した。湾岸幕張PAで休憩後も順調に推移して、午後7:00過ぎには銚子市役所前へと、予定時刻より早く到着することができた。       

               文責 : 椿 敬一郎 (補筆と画像提供 : HP&ブログの担当スタッフ)

 帰りのバス車内では、秩父の人々が、ジオサイトの案内だけでなく、「芝桜の丘」・「おがの化石館」・町の土産物店と、どこに行っても親切で、おもてなしの心がよく伝わり、リピートしたくなる、という声がしきりでした。
 秩父の皆様、どうも有難うございました。

【注】  企画展 『石の世界と宮沢賢治』 国立科学博物館 ( 2014/04/19(土)~06/15(日)9:00~17:00 )

        博物館と宮沢賢治、 「石っこ賢さん」から地質学者へ、
        農学校教諭時代の宮沢賢治、 文学作品の中の地質学
 

「秩父ジオパーク」訪問記(上)

秩父ジオパーク_訪問記

 4月22日(火)~4月23日(水)に、「銚子ジオパーク推進市民の会」(以後、「市民の会」と略称)による「秩父ジオパーク」への訪問研修が行われた。

 この研修は、前々からの「市民の会」会員の「秩父訪問」要望に加えて、3か月前の1月19日(日)~1月20日(月)の「秩父ジオパーク」の皆様による銚子訪問への答礼を兼ねていた。
 とりわけ、1月19日夕の交歓会で、「次は是非とも、銚子から秩父へ」の機運が盛り上がり、「市民の会」の理事会で決定された。

 実施に当たっての課題は、交通渋滞の予想される都心を通過するのに必要な時間の見当が全くつかないことだった。それで、出発の曜日と時刻を実施予定日に合わせたリハーサルを、3月25日~26日に実施した。この時は、銚子を6:30に出発して、関越の花園IC(秩父への玄関口)に11:30に着くという大渋滞だったが、ツアー当日はスムーズに巡行し、11:00前に、秩父市の北北東に位置する秩父郡皆野町に到着した。

②メープルサイダー試飲0023Ed 到着が2時間以上早まったため、13:00開始予定の昼食を、味噌蔵「ヤマブ」のご厚意で、1時間半ほど繰り上げて頂いた。テーブル・シートには「秩父音頭」が描かれており、箸袋は千代紙製で女性会員を喜ばせた。
 
 昼食を待つ間、ヤマブの社長さんから、特産の味噌に始まり、2000年に岐阜で発見された幻のコシヒカリ「龍の瞳」、秩父産のカエデから採れるメープル・シロップのお話を伺った。
 食事は、ご飯と味噌汁が絶品で、珍しい地場野菜の漬物や味噌ポテトも美味しかった。香りのよいメープル・シロップ・サイダーも試飲した。            【図1.メープル・シロップ・サイダーの試飲】

 昼食後、味噌蔵の庭を散策した。庭では、遅咲きの「御衣黄(桜の1品種)」がほころび、荒川産の石を使った金子兜太の句碑もあった。金子兜太は、『秩父音頭』の編詞者=金子伊昔紅の息子で、今年94歳。現役で俳句誌『海程』を主催し、毎月ブログを更新している、スーパー俳人。

⑤金子兜太句碑140422_124401Ed 早い到着で時間に余裕が出来たので、向いの「皆野椋神社」まで足を伸ばした。ここでは、市民の会が訪問する僅か2日前に建立されたばかりの兜太の句碑に出会う、という幸運に恵まれた。句碑周りの植栽も新しい。
           「おおかみに 蛍が一つ 付いていた」
 この句は、この神社境内で詠まれ、2001年上梓の句集東国抄の代表作として知られる。
 明治期になって絶滅したといわれる日本
オオカミ=狼は、ケモノ偏に良いと書く良獣で、秩父の三峰山に祀られ、害獣から山人を守る神でもある。
        【図2.椋神社の金子兜太句碑】          兜太がしばしば関心を寄せている「秩父事件」は、明治17年初冬、椋神社に集まった約三千の「借金農民」に始まるという。
 明滅する
蛍の光は、山村農民の蜂起のように儚く、蛍に付かれた狼を当惑させるものだったのだろうか。

 午後からのジオサイト訪問では、「秩父ジオパーク事務局」秩父市役所・産業観光部観光課の宮城敏主席主幹と吉田建一ジオパーク推進員に案内して頂いた。
 『ようこそ 銚子ジオパーク 御一行様』とタイトルされたA3両面資料の表紙には、「関東平野 地下3000mで結ばれる 深い絆」と印字されている。

蓑山_山桜と秩父連山0037Ed この資料を手に皆野町内を移動し、秩父盆地と周辺山地が一望できる蓑山(美濃山)に登った。
 頂上からは、秩父盆地に河成段丘を成す「新第三系海成層」、盆地東側になだらかな山容を成す「三波川帯」、南・西・北側で盆地を取り巻く急峻な峰々から成る「秩父帯」、および、秩父帯南側の2,000m級の山々から成る
「四万十帯」が見渡せた。
 市街地の「低位段丘」は、荒川や中小河川に削られた地層で、段丘崖の湧水はかつて地蔵川となって秩父市街を流れていたという
 荒川と横瀬川に削り残された羊山丘陵は「中位段丘」で、銚子・屏風ヶ浦      【図3.美の山公園で山桜満開
の「香取層」に相当する砂礫層。
 尾田蒔丘陵は「高位段丘」で、50万年前には秩父盆地の平坦面であり、八ヶ岳・北アルプス由来の火山灰層に上部を覆われている。
⑭三波川変成岩の片理_解説0050Ed 「美の山」など外秩父山地の「三波川帯」は、ジュラ紀付加体が、プレートの沈み込みにより、地下15~30kmに底付けされ、白亜紀後期に低温高圧の変成作用を受けたもので、結晶片岩を特徴とする。千葉県では、成田の地下1,315mから、同地層の「緑色片岩」を得ている。
 両神山・二子山・武甲山・三峰山などの「秩父帯」は、「ジュラ紀付加体」で、銚子の「愛宕山層群」に相当する。
 甲武信岳・雲取山など奥秩父山地の「四万十帯」は、「白亜紀後期の付加体」で、南房総の峰岡山地にも露頭が見られる。
       【図4.長瀞・三波川帯の岩石段丘     やや霞んではいたものの、『日本地質学発祥の地』に相応しい眺望を満喫することができた。
 「美の山」への道中、『黒谷・和銅遺跡』の看板を何度も見かけた。黒谷は、「三波川帯」と「新第三系」の境界に位置し、銅鉱石は江戸期まで採掘されたという。

⑬ポットホール0046Ed 次のジオサイトは荒川上流の長瀞で、親鼻橋上流右岸の紅簾石片岩の露頭と「ポットホール」(甌穴)。
紅簾石片岩」は明治21年、小藤文次郎が世界に先駆けて報告した、マンガンを含む紫紅色のチャートに由来する硅酸塩鉱物。周囲には銀白色の「絹雲母片岩」も見られる。何れも「三波川変成帯」の結晶片岩。
 直系2m程のポットホールは、この地域が荒川の川底であった頃、上流にあるチャートなどの硬い石が岩の窪みに取り込まれ、荒川の急流によって回転し、周囲の岩を削ってできたとされる。                        【図5.長瀞のポットッホール】
 このポットホールは、現在の荒川の河床面から10m程上位にあるため、その分、大地が隆起したことになる。

 この後、『埼玉県立自然の博物館』を訪ねた。
                                                     ≪ (下)に続く ≫

    銚子ジオパーク推進市民の会   椿 敬一郎 (補筆と画像提供 : HP&ブログの担当スタッフ)

 
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