前項(2)と(6)では、付加体成立よりもはるか後世における正断層発生後の、波浪浸蝕や風化に弱い泥岩部分の欠落による、海食洞千騎ケ岩空洞の成立をご説明。今日は波が荒く、海食洞を覗き込むと、打ち寄せる波に足元を掬われそうでした。海食洞には、陸側から投棄されたゴミが溜まっており、清掃が課題となりました。

  千騎ケ岩を特徴づけて いた留鳥としてのウミウは、 道路工事で立ち去った模様で、今は渡り鳥しか確認できません。ウミウに限らず、今年は、全国的に留鳥が激減しているというメジャーな情報があり、「放射能のせいでは?」とも囁かれています。

 
  前項(4)と(5)では、ここからスタートし屏風ヶ浦の名洗漁港を越えて大谷津辺りまで続く、火砕流火山灰に由来する名洗層をご説明。北風を遮る崖下には、ヒゲスゲ(左下写真)が開花中、イソギクも新葉を展開しています。この何れも、黒潮で運ばれた暖流性植物で、銚子が北限です。

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 前項(9)では、海洋底の移動により、ジュラ紀(1.5億年前)に付加体が形成された際に、メランジュ状に破砕された海洋底由来の高神礫岩が、陸源性の硬砂岩泥岩内の随所に認められます。しかも、多くの高神礫岩中に、様々な形状のフズリナ(紡錘虫:ペルム期(古生代)の示準化石で約2.5億年前に絶滅)が認められます。
 また、高神礫岩中に含まれる花崗岩礫は、暗灰色の「角閃石黒雲母花崗閃緑岩」や白っぽいトーナル岩などから成り、磁鉄鉱を含み、K-Ar法で分析した結果、角閃石で2.7億年前、黒雲母で2.55億年前と判明しています。
 古生代の南半球に誕生した、日本列島を構成する部品としての地塊が、北半球の現在に近い位置まで、中生代に移動した様子に思いを馳せました。

 高神愛宕山の「地球が丸く見える展望館」の入り口左右には丈の高い「石灯籠」があり、建物左手には、「一等三角点」と、その奥に、石造の「愛宕神社」があります。明治25(1892)年設立の一等三角点「高神村」には 北緯 35°42’11”0300、東経140°51′24″4078、標高73.62mと表示されており、ここが銚子の中心。江戸期までは標高が80m以上あったという説があり、お客様と話に花が咲きました。

 今日は、雨雲が低く垂れ込め、展望館の屋上もお勧めではありませんでしたが、「日比友愛の碑」から見える水平線の向こう側には、フィリピンのマヨン火山(通称:ルソン富士)が、銚子との間に障害物もなく聳えているとのことです。今も噴煙を上げる活火山で、火砕流と溶岩流の繰り返しによって形成され、ほぼ完璧な円錐形をしていることから、“美しい”を意味する“マヨン”の名前が付けられ、かつて、日系人移民の間では、「富士山よりも美しい」と称えられた山容を持つそうです。
 戦火に散った日比両国の兵士や市民のことを、何時までも忘れないために、高神愛宕山の地が選ばれたのだそうです。

 お客様とガイドは、この碑の手前にあるアーチが、「3.11」や最近の震度5強の地震にもヒビ割れ一つないことに感心し、ジュラ紀の岩盤の硬さを称賛して、雨脚も強まる中、今日の観察会を終えました。