DSC01380ed 大宝満を降りると、西の長崎海岸から遠望していたのとは異なり、V字谷風になっているのは外側だけで、内側には、広い岩畳がありました。大宝満を覆っていた黒っぽい溶岩はここにはなく、下の灰白色の岩が剥き出しになっています。

 岩畳に腰を下ろして西北方向を見ると、V字の間から、犬吠埼灯台が遠望でき(左写真)、仲々の眺めです。写真をダブルクリックすると、拡大し、岩体の様子や犬吠埼灯台がよく分かります。

 一休みして、次は小宝満に登りました。 宝満全体が南に向かって傾斜しており、北の大宝満は高く、南の小宝満は低くなっています。さらに、小宝満の溶岩は、西の陸に近い側で分厚く、東の太平洋側で薄く、下の灰白色の岩が剥き出しのところ(右下の写真と左下の写真)も、少なくありません。
 写真をクリックすると、拡大し、岩の様子がよく分かります。 
DSC01390[1] この 灰白色の岩は、夫婦ヶ鼻層の凝灰岩というよりも、白亜紀前期の酉明浦層~長崎鼻層の砂岩のように見えます。 凝灰岩が太平洋の荒波に浸食された結果、さらに古い時代の岩体が露出したのでしょうか?
 西側には、玄武岩の団塊が並んだ箇所があり、これらは海中を流れたものと推察されました。

 宝満全体は、下部が夫婦ヶ鼻層 、上部が溶岩ですが、北ほど溶岩が分厚いのは、噴火口が北部にあったことを表わしています。 噴火口の位置は、今も特定されていませんが、二酸化珪素を多く(53.5%以上)含み、粘度の高い古銅輝石安山岩が、大宝満を分厚く覆っているところからも、北部の大宝満の近辺が想定されます。  
 当時は 浅い海底にあったと見做される北部の夫婦ヶ鼻層に、マグマが地下から貫入して噴出し、溶岩流が南部の小宝満まで、海の中を流れたのでしょうか?
 日本海が開く前夜の約2100万年~2000万年前(新生代・新第三紀・中新世)には、火山フロントが銚子の東海岸沖にあったことは、昨年暮れの見学会で確認した黒生漁港突堤脇の古銅輝石安山岩を含め、驚きの事実です。因みに、現在の日本列島の火山フロントは、はるか西部の山岳地帯に後退しています。
 
DSC01392[1] 11:50を回ったので、帰途に着きます。 これからは潮が満ちる一方なので、長居はできないと知りつつ、 潮溜りを覗き込みます。行きには小さかった潮溜りが拡大し、アメフラシが何匹も蠢いています。よく見れば、ムラサキウニが敷き詰めたように並んでおり、岩を横切るカニの数も増えています。

 岩石海岸のトラバース??は、行きより帰りの方が時間が掛かります。潮溜りがあちこちに増えて、足を取られる回数も増えます。道路の擁壁を東に回りこむと、転石の中に、気泡の通り抜けた孔が 無数に開いた溶岩が幾つも見られ、色も、黒だけでなく、オレンジや赤があって、含有成分の差によるものと思われました。
 
 転石に混じって珪化木もチラホラ。先週の山田講師の話を思い出し、「この辺りの 珪化木なら、琥珀が含まれていても不思議はない」と思いました。サメの歯やクジラの耳骨も、見つかるかも知れません。アンモナイトが含まれている可能性のあるノジュールらしき転石も、幾つかありました。訪問者には、この環境を大切にして、破壊行為をしないで頂きたいと思いました。

DSC01393ed2 酉明浦~長崎鼻にかけては、中新世の夫婦ヶ鼻層の上に、約500万年前(新第三紀・鮮新世)の名洗層の基底礫岩が、不整合に堆積していることで知られています。
 さらに、 夫婦ヶ鼻層が浸食で失われている部分では、白亜紀前期の 酉明浦層~長崎鼻層の上に直接、 鮮新世・名洗層の基底礫岩が、不整合に堆積しています。
 従って、長崎海岸では、白亜紀の化石を含む転石と、 中新世の安山岩~玄武岩の転石が、同時に見られる結果となっています。

  岩が途切れた僅かな砂浜にハマエンドウが群落をなし、今を盛りと咲く花の青紫色が、ハッとするほど美しく、強い印象を残しました。「この群落が何時までも、この地に残りますように」と、祈る思いです。 
  
 今日の観察会の締めは、  名洗層の基底礫岩の観察です。ここで、経験のあるBさんが活躍。貝類化石などを多く含む基底礫岩を、転石の中から見つけ出し、皆に示してくれました。Bさんに感謝。
 
 帰り際には、塩辛い温泉の足湯で、5月の青い海と犬吠埼灯台を眺めながら  岩石海岸で疲れた足を癒すことができました(写真右上)。