夫婦ヶ鼻層

2012基礎講座 第6回 古銅輝石安山岩 

6月7日(木)午後7時~8時半に、 基礎講座の第6回が開催され、60名近い参加者があり ました。 今回も、教室前に幟旗を立て、テーブルを出して、「市民の会」のスタッフが、千葉科学大の学生さん達と共に、受付などの事務処理を行いました。

DSC01537  今回のテーマは『古銅輝石安山岩』で、安藤先生の講義です。
 
 先ず、環太平洋の火山帯に多い安山岩と、一般的な結晶から輝石までの解説がありました。

 板状節理をなすことから鉄平石と呼ばれる安山岩ですが、これにも幾つかの種類が知られています。
 平塚市博物館の解説によると、「諏訪鉄平石は更新世の複輝石安山岩、佐久鉄平石は中新世の輝石安山岩で、佐久石は中新世後期の複輝石安山岩質溶結凝灰岩で、これらは八ヶ岳の噴火に由来」、また、「 丹沢の噴火に由来の輝石安山岩は、白い斜長石の斑晶が目立ち、平塚や相模原に見られる」そうです。つまり、火山噴火のあったところでは、輝石安山岩は一般的なものともいえます。
 
 一方、黒生漁港の突堤脇に見られる 古銅輝石安山岩は、まるで無数の星の粉を振り撒いたように、太陽光を浴びると、緑色にキラキラと輝きます。ここの安山岩に含まれる、赤鉄鉱などの薄片を含んでブロンズ色に輝く古銅輝石は、頑火輝石(Mg2Si2O6)の一種です。
 一定の高温を条件として結晶する頑火輝石 (Mg2Si2O6) は、斜方輝石の一種で、マグネシウム(Mg)の含有量が多いことを特徴としており、太陽系ができた頃の古い隕石にも含まれる鉱物 だそうです。

DSC01541  黒生では、安山岩が貫入した夫婦ヶ鼻層は、深い海で堆積した海成のシルト層で、そこに含まれる珪藻化石の年代測定から、1,650万年前の地層と分かるそうです。
 銚子半島のもう一つの溶岩地帯=宝満の夫婦ヶ鼻層は、浅い海で堆積した陸源性の凝灰質砂岩で、貫入した安山岩 のK-Ar法による年代測定から、2,100万年前の地層と分かるそうです。

  また、黒生では、安山岩とともに玄武岩を産出し、これにはMgに富むかんらん石( (Mg, Fe)2SiO4 )の結晶が含まれています。
 玄武岩質マグマの温度が下がると、 融点が高いために高温では結晶していた、Mgに富むかんらん石の結晶が溶け始め、 Mgに富む斜方輝石の結晶ができることが知られています。これを斜方輝石玄武岩と呼びます。

 安山岩と玄武岩では成因が異なることから、両者は別の時期に、黒生に噴出したのではないかと考えられているそうです。伊豆大島・三原山や富士山に代表される、玄武岩を噴出する火山群は、 黒生においても、安山岩を噴出する火山群よりも後の時代に活動したのでしょうか?それは、どの時代なのでしょう?  

DSC01545  次に、地下のマントルの動き、マグマの発生と分化のプロセスが、 地学図表・ハンドアウト資料・スライドの他に板書も駆使して、丁寧に解説されました(写真右上)。特に、マントルを構成するかんらん岩の溶融条件の図は、興味深いものです。 

 マグマが噴出する場所には、海嶺・ホットスポット・島弧海溝系の3種があり、それぞれ、低圧・高温・水の供給を契機としてマグマが生成されるそうです。

 日本の火山は 島弧海溝系の沈み込み帯(日本海溝)に起因します。沈み込む海洋プレートからマントルに、大量の水が供給されることによって、マントルを構成するかんらん岩の融点が下がり、マグマが生成されることは、実験的に分かっているそうです。

 銚子に火山フロントがあったのは、背弧海盆としての日本海が開き始める直前の時代、即ち、日本列島とユーラシア大陸との繋がりがマントルの湧き出しによって切れ始めた時代であると仮定すれば、日本海溝との位置関係で辻褄が合うのでしょう。
 その場合、1,500万年前に日本海が開き終わったとすれば、銚子の火山岩はすべて、これ以前に生成されたことになります。

  ホットスポット であるハワイが、海中に火山の軌跡としての天皇海山列(7,000万年前~4,000万年前)を残しつつ、8㎝/年で、2億年かけて、徐々に日本列島に近づいていることや、マントル対流の結果として大陸は5億年に1度は1つになること、などのスケールの大きな安藤先生のお話には、受講生の多くが関心を持ったようです。

 今回も、休憩時間に、 熱心な受講生達が先生の回りに集まって、質問をしていました(左の上/下の写真)。

大潮の日に宝満で有志観察会(その2)

DSC01380ed 大宝満を降りると、西の長崎海岸から遠望していたのとは異なり、V字谷風になっているのは外側だけで、内側には、広い岩畳がありました。大宝満を覆っていた黒っぽい溶岩はここにはなく、下の灰白色の岩が剥き出しになっています。

 岩畳に腰を下ろして西北方向を見ると、V字の間から、犬吠埼灯台が遠望でき(左写真)、仲々の眺めです。写真をダブルクリックすると、拡大し、岩体の様子や犬吠埼灯台がよく分かります。

 一休みして、次は小宝満に登りました。 宝満全体が南に向かって傾斜しており、北の大宝満は高く、南の小宝満は低くなっています。さらに、小宝満の溶岩は、西の陸に近い側で分厚く、東の太平洋側で薄く、下の灰白色の岩が剥き出しのところ(右下の写真と左下の写真)も、少なくありません。
 写真をクリックすると、拡大し、岩の様子がよく分かります。 
DSC01390[1] この 灰白色の岩は、夫婦ヶ鼻層の凝灰岩というよりも、白亜紀前期の酉明浦層~長崎鼻層の砂岩のように見えます。 凝灰岩が太平洋の荒波に浸食された結果、さらに古い時代の岩体が露出したのでしょうか?
 西側には、玄武岩の団塊が並んだ箇所があり、これらは海中を流れたものと推察されました。

 宝満全体は、下部が夫婦ヶ鼻層 、上部が溶岩ですが、北ほど溶岩が分厚いのは、噴火口が北部にあったことを表わしています。 噴火口の位置は、今も特定されていませんが、二酸化珪素を多く(53.5%以上)含み、粘度の高い古銅輝石安山岩が、大宝満を分厚く覆っているところからも、北部の大宝満の近辺が想定されます。  
 当時は 浅い海底にあったと見做される北部の夫婦ヶ鼻層に、マグマが地下から貫入して噴出し、溶岩流が南部の小宝満まで、海の中を流れたのでしょうか?
 日本海が開く前夜の約2100万年~2000万年前(新生代・新第三紀・中新世)には、火山フロントが銚子の東海岸沖にあったことは、昨年暮れの見学会で確認した黒生漁港突堤脇の古銅輝石安山岩を含め、驚きの事実です。因みに、現在の日本列島の火山フロントは、はるか西部の山岳地帯に後退しています。
 
DSC01392[1] 11:50を回ったので、帰途に着きます。 これからは潮が満ちる一方なので、長居はできないと知りつつ、 潮溜りを覗き込みます。行きには小さかった潮溜りが拡大し、アメフラシが何匹も蠢いています。よく見れば、ムラサキウニが敷き詰めたように並んでおり、岩を横切るカニの数も増えています。

 岩石海岸のトラバース??は、行きより帰りの方が時間が掛かります。潮溜りがあちこちに増えて、足を取られる回数も増えます。道路の擁壁を東に回りこむと、転石の中に、気泡の通り抜けた孔が 無数に開いた溶岩が幾つも見られ、色も、黒だけでなく、オレンジや赤があって、含有成分の差によるものと思われました。
 
 転石に混じって珪化木もチラホラ。先週の山田講師の話を思い出し、「この辺りの 珪化木なら、琥珀が含まれていても不思議はない」と思いました。サメの歯やクジラの耳骨も、見つかるかも知れません。アンモナイトが含まれている可能性のあるノジュールらしき転石も、幾つかありました。訪問者には、この環境を大切にして、破壊行為をしないで頂きたいと思いました。

DSC01393ed2 酉明浦~長崎鼻にかけては、中新世の夫婦ヶ鼻層の上に、約500万年前(新第三紀・鮮新世)の名洗層の基底礫岩が、不整合に堆積していることで知られています。
 さらに、 夫婦ヶ鼻層が浸食で失われている部分では、白亜紀前期の 酉明浦層~長崎鼻層の上に直接、 鮮新世・名洗層の基底礫岩が、不整合に堆積しています。
 従って、長崎海岸では、白亜紀の化石を含む転石と、 中新世の安山岩~玄武岩の転石が、同時に見られる結果となっています。

  岩が途切れた僅かな砂浜にハマエンドウが群落をなし、今を盛りと咲く花の青紫色が、ハッとするほど美しく、強い印象を残しました。「この群落が何時までも、この地に残りますように」と、祈る思いです。 
  
 今日の観察会の締めは、  名洗層の基底礫岩の観察です。ここで、経験のあるBさんが活躍。貝類化石などを多く含む基底礫岩を、転石の中から見つけ出し、皆に示してくれました。Bさんに感謝。
 
 帰り際には、塩辛い温泉の足湯で、5月の青い海と犬吠埼灯台を眺めながら  岩石海岸で疲れた足を癒すことができました(写真右上)。

大潮の日に宝満で有志観察会(その1)

潮の干満情報に強いスタッフのBさんから、「05/07~05/09 の3日間は、1年間に何度もない昼間の大潮、気候も良いので、日頃は遠望するだけだった長崎海岸沖(酉明浦)の宝満に行こう」と提案があり、平日ながら5月8日に急遽、「市民の会」のスタッフ10 名が参加しました。
 Bさんは、1991年の今の季節に、千葉県立中央博物館の館員の案内で、 長崎鼻~酉明浦を回ったことがあるそうです。

 干潮は11:30なので、長崎海岸にあるお店の駐車場に10:00 集合。直ぐに、磯歩きに向いた足拵えに変えました。長靴組の他に、ビーチ・サンダルや、クロックス・タイプの穴あき靴の人もいました。 
 
DSC01382[1]  潮が引いても、宝満までの距離は近くならないので、 礫漠(岩石沙漠の一種)にも似た転石の海岸を、延々と歩いて行きます。 美味しそうなノゲノリがびっしり付いた岩や、不味そうなカジメの付いた岩を横目に、海藻の付いていない岩を選び、どぎつい配色のヒトデ達にも挨拶しつつ、時々滑りそうになりながら歩くこと40分、やっと、大宝満の岩塊に辿り着きました(右写真)。
 写真をクリックすると、拡大し、普段は海面下にある、様々なタイプの礫が、よく見えます。 宝満の上部が白く見えるのは、ウミウの糞によります。

 西の陸に近い側の崖は、下部が白っぽい海成岩から成る夫婦ヶ鼻層、上部を覆うのは、黒っぽい溶岩の玄武岩~安山岩です。
 ポートタワー下の夫婦ヶ鼻層は、如何にも 凝灰岩らしく、全体が黄色味を帯び、一部が緑がかっている地層ですが、ここの凝灰岩は、違っています。21年前の報告には、宝満の海成岩も、「黄色味を帯びた凝灰岩、新鮮な部分は緑灰色」とありますので、その後の経年変化によるものでしょうか?  

DSC01383ed 少し上に登ると、岩の隙間に、ハマボッスが数箇所で肉厚の葉を広げ、ソナレムグラも 2ヶ所ほどで育っていました。岩の窪みには、ウミウの糞が真っ白に分厚く積もっています。
 ハマボッスやソナレムグラ は、特に燐酸肥料を好む植物なのでしょうか?

 岩伝いに東の海側を目指します(左写真)。干潮とはいえ、波が荒く、太平洋に突き出した磯の、低い位置にある岩には、危険で近づくことができません。 
 逆に、高いところを目指しました。 高い部分はゴツゴツした黒い岩体です。ここでは、古銅輝石安山岩が、溶岩流の冷却時のヒビ割れによって、「板状節理」を成しています  

 安山岩に含まれる無数の古銅輝石 含鉄頑火輝石 が、午前の太陽を浴びて、緑色にキラキラと輝いているのを、皆で確認しました。
 この岩には、溶岩の噴出時に、急激な圧力低下による内部のガスの膨張で、ガスが気泡となって通り抜けた、細かな穴が無数に開いています。

DSC01378[1] 
古銅輝石安山岩は、水を含んだマントルのカンラン (Mg, Fe)2SiO4  地下20km溶融し、珪酸塩を多く含み、マグネシウムの多いマグマとなって、浅い海中ないし地上に噴出したもの、と言われています。
  この浅い地下低圧な条件下で、プルームの上昇、ないし、ホットプレートの沈み込みによる加熱があって初めて、古銅輝石安山岩の噴出が起こると言われ、他では滅多に見られない貴重なものです。左上写真をクリックすると、拡大し、岩の様子がよく分かります。 

 大
宝満の一番高い部分に皆で登り、『市民の会・宝満初登頂』を記念して、「はい、ポーズ!」(右上の写真)撮影の方、お世話様です。不安定な岩の上ながら、無風に恵まれ、日差しも強過ぎない、この季節ならではの、快適な観察会です。この後は、小宝満へ。

2012基礎講座 第1回 地球の歴史

Uketuke0419-001 4月19日(木)午後7時~8時半に、 基礎講座の第1回が開催され、90名程の参加者がありました。

 今までは、「市民の会」の各種講座の事務処理や案内・受付は、千葉科学大の学生さん達で行なっていましたが、今年度から、「市民の会」のスタッフがこれを引き継ぐことになり、今回が練習の1回目です。
 手分けして、参加される方々の車の誘導を行い、また、教室前に幟旗を立て、テーブルを出して、受付(右写真)をしました。
 去年の学校教育支援でお会いした校長先生など、懐かしい方にも、お会い出来ました。

AkagiAisatu0419-001 講座の開講にあたり、「市民の会」の工藤会長、千葉科学大の赤木学長(左写真)、および講義担当の安藤准教授から挨拶があり、ジオパークのガイド養成講座の意義を確認しました。 
  基礎講座の修了試験に合格し、続くマスター講座を修了し、その間にガイドの演習を何度もこなしていくことで、2年掛けて、認定ガイドの養成を目指すということです。 

 今回のテーマは、「地球の歴史」です。
 地球46億年の歴史が、今迄、どのように解明されているか、解明するに当たって用いた手法はどのようなものか、そして、人類は、地球の歴史上で、どのような位置に立っているのか、人類の未来は?。。。と、壮大なスケールの講義が続きます。
  地球の46億年を24時間に当てはめると、人類の出現した258万年前 (新生代第四紀)は、45秒前に当たるそうです。 このささやかな存在でしかない人類が、5億年以上前の、カンブリア紀の三葉虫を調査しているのも、感慨深いことです。   
  
Jugyo0419-001 地質時代区分の講義(右写真)では、配布されたA3サイズの年代表を、学習者自身が工夫して色分けすると、理解が深まると、安藤先生からアドバイスがありました。
 相対年代による地質時代は、動物の進化を基準にして区分けされていること、植物は、それを捕食する動物よりも、先行して進化してゆくことが説明されました。
 
 銚子の地層で特筆すべき点(年代が新しい順)
① 屏風ヶ浦の名洗層に新第三紀と第四紀の境界があり、ほぼ、人類誕生の時代に相当する。
② 日本海が開き始める前の時代、夫婦ヶ鼻層にマグマが貫入し、 風変わりな成分構成比を持つ古銅輝石安山岩が露頭している。
③ 犬吠埼周辺には、 アンモナイトなどの浅海性堆積物を含む銚子層群の地層が露頭しているが、 銚子層群を含む白亜紀はまた、恐竜が跋扈した時代でもある。
④ ジュラ紀の愛宕山層群の堅固な地層が東海岸の基底にあることで、銚子半島の独特な形状が維持され、三方を水域に囲まれた海洋性気候で、漁業だけでなく、醤油醸造・キャベツ栽培・風力発電に成功している。
 
 稀有の僥倖に恵まれた銚子の地を大切にしたいと、改めて感じた、今日の授業でした。

青空の下、「東海岸・岩礁地帯の見学会」(その2)

ByobuDaichiUe20111210 (5)長崎鼻では、干潮時には徒歩で行ける浅い海中に、大宝満・小宝満が望めます。今日は島へ渡れず、噴出した古銅輝石安山岩による、夫婦ヶ鼻層への貫入や巻き込みは、見ることができません。ふと気付けば、遠くに刑部岬が見えます。
 (6)長崎海岸では、周辺から採取したと思しき、黒くて丸い礫岩が、民家の垣根に使われている様子を観察。

 (8)大谷津では、先ず、下総台地の頂上に上り、犬若岬から刑部岬までの海食崖を観察。今は海中に没した佐貫城と、そこに逗留したと伝わる義経や、城主・片岡常春、奥州・衣川に散った弟・為春の命運に思いを巡らせ、渡る海風も「諸行無常」と吹くように思いました。

 次に、海岸の、テトラに近いコンクリート上に降りました。ここに来ると、日頃見慣れている名洗遊歩道からの名洗層を中心とした屏風ヶ浦とは異なり、飯岡層が中心になります。青灰色を帯びた泥質凝灰岩から成る飯岡層が、上部の香取層との境界から流れ落ちる湧水によって、白く輝いています。風化の激しい香取層は、屹立する飯岡層の崖面に流れ出して、随所でそこを覆っています。ここでは未だ飯岡層の下に名洗層も露頭しており、犬吠層群の3層すべてと関東ローム層が同時に観察できます。
 帰りがけに、飯岡層の上面からの清冽な湧水を、何度も確認しました。

 天候にも祝福されて、メンバーの誰もが市民レベルでの成功感を味わった、素晴らしい見学会は、午後3時で終了。
 休日に、ご家族づれで参加され、いろいろと教えて下さった、安藤先生に感謝いたします。
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