
場所は、①屛風ヶ浦の名洗遊歩道入り口 (左上写真) 、②犬岩前(右上写真)、③愛宕山の一等三角点脇(地球展望館の西側) (左中写真) の3箇所です。
各写真で、測量用のポールを持って立っている人の位置です。

看板の内容は、 千葉科学大学 の安藤准教授が制作しました。
各看板は、統一されたデザインのもとに制作されています。画面の右側6割強に、高度別の段階的色分け(低地の水・緑~高地の橙・茶)のある、 カシミールで制作した 地形図【寺平宏平氏作】が配置され、左側4割弱に、各地点から眺めたジオサイトの風景画【島津四郎氏作】が配置されています。解説文は和文+英文の予定です。

地形図は、 古代から現代までの、人々がジオの恵みを享受してきた過程を辿るために、欠かすことができません。
主要な3つのジオサイトのジオツアーでは、この看板の前から、ジオガイドをスタートする予定です。その時、ジオガイドのプロローグが、この地形図によって一目瞭然となるように、工夫されています。
今回の カシミールによる地形図は、下総台地(橙~茶)に対する谷頭浸蝕と河岸段丘の形成が、歴然と分かるように表示された素晴らしいもので、 特に、 磯見川流域で樹枝状に広がる谷頭浸蝕(緑~黄)と、利根川流域の河岸段丘(水~緑)が目立ちます。

「 三崎町三丁目遺跡」は、銚子半島最古の旧石器時代遺跡(約12,000年前)で、屛風ヶ浦の先端近くで太平洋に注ぐ、磯見川流域の河岸段丘上で発掘されたことにも、納得がゆきます。

最盛期である縄文中期 (約5,500~4、500年前)を中心に、長崎海岸などで採取したと思われる琥珀の加工や、朱漆塗り土器を制作した高い技術、工具としての黒生チャートや神津島産黒曜石にも、興味が湧きます。
さらに、「椎柴小学校遺跡」をはじめ、多くの縄文・弥生~古墳~奈良・平安の遺跡が、当時の香取海(現在の利根川下流域~河口)沿岸の沖積台地から発掘されました。 「椎柴小学校遺跡」 では、「朝日遺跡」(伊勢湾沿岸)で知られるパレススタイルの壺も出土し、弥生時代の東海地方との交流を覗わせます。
利根川下流域~河口は、利根川の付け替えを行った江戸期以降こそ難所になったものの、 香取海沿岸だった古代には、船の航行に適した場所だったため、2,000年以上前から畿内勢力が侵入したことが覗われます。 【右上図は、約6,000年前の関東地方 霞ヶ浦河川事務所作成】
銚子半島は、フォッサマグナの東縁に位置し、日本海が開いた時代の東日本側島弧の西縁に位置します。 ジュラ紀の硬い岩盤に支えられた銚子半島は、こうした列島弧の地殻変動の影響を受け、太平洋に大きく突き出した、独特の地形をしています。
この地形が黒潮と親潮を沖合で突き合わせるため、暖流系と 寒流系のプランクトンを求めて、豊富な種類の魚がやって来ます。これを求めて、 暖流系と寒流系の野鳥と海獣が棲息しています。また、海流に種が運ばれて、暖流系と寒流系の植物が共生し、特に、数種の暖流系植物の北限の地となっています。
人もまた、豊かな漁場を利用した漁業、海洋性気候を利用した農業、安定した海風を利用した風力発電、などの産業を発達させてきました。
銚子半島は、ジオの恵みを活かしている生きもの達の暮らしを、間近に見て、体感できる場所でもあります。