河岸段丘

「めざせ!銚子ジオパーク」看板の設置地点の選定と地形図

看板屏風ヶ浦Ed3 千葉科学大学、銚子ジオパーク推進協議会、および 銚子ジオパーク推進市民の会は、08/03(金)の午後に、ジオ看板の設置候補地点を、3箇所、選定しました。
 場所は、①屛風ヶ浦の名洗遊歩道入り口 (左上写真) 、②犬岩前(右上写真)、③愛宕山の一等三角点脇(地球展望館の西側) (左中写真) の3箇所です。
 各写真で、測量用のポールを持って立っている人の位置です。 

看板犬岩Ed2 3本の看板とも、大版の垂直型で、設置場所より道路に近い側に、矢印を含む案内標識を立てて、看板に誘導する予定です。

 看板の内容は、 千葉科学大学 の安藤准教授が制作しました。
 各看板は、統一されたデザインのもとに制作されています。画面の右側6割強に、高度別の段階的色分け(低地の水・緑~高地の橙・茶)のある、 カシミールで制作した 地形図【寺平宏平氏作】が配置され、左側4割弱に、各地点から眺めたジオサイトの風景画【島津四郎氏作】が配置されています。解説文は和文+英文の予定です。
 
看板展望館Ed 地形図(下中央写真)は、一般生活地図(線路+ 道路+ 主要建造物を含む)や地学研究者指向の地質図(地質時代別の段階的色分けを含む)とは異なり、「ジオと人との関わり」をテーマとするジオパークを目指すに相応しいものです。
 地形図は、 古代から現代までの、人々がジオの恵みを享受してきた過程を辿るために、欠かすことができません。

 主要な3つのジオサイトのジオツアーでは、この看板の前から、ジオガイドをスタートする予定です。その時、ジオガイドのプロローグが、この地形図によって一目瞭然となるように、工夫されています。
 今回の カシミールによる地形図は、下総台地(橙~茶)に対する谷頭浸蝕と河岸段丘の形成が、歴然と分かるように表示された素晴らしいもので、 特に、 磯見川流域で樹枝状に広がる谷頭浸蝕(緑~黄)と、利根川流域の河岸段丘(水~緑)が目立ちます。 
銚子地質図Ed
 この地形図を見れば、 地形が古来、人々の生活に大きな影響を与えてきたことが分かります。

 「 三崎町三丁目遺跡」は、銚子半島最古の旧石器時代遺跡(約12,000年前)で、屛風ヶ浦の先端近くで太平洋に注ぐ、磯見川流域の河岸段丘上で発掘されたことにも、納得がゆきます。
 
縄文の香取海   また、「粟島台遺跡」は、南小川町から高神方面に広がる舌状台地上で発掘されました。 
  最盛期である縄文中期 (約5,500~4、500年前)を中心に、長崎海岸などで採取したと思われる琥珀の加工や、朱漆塗り土器を制作した高い技術、工具としての黒生チャートや神津島産黒曜石にも、興味が湧きます。
  
 さらに、「椎柴小学校遺跡」をはじめ、多くの縄文・弥生~古墳~奈良・平安の遺跡が、当時の香取海(現在の利根川下流域~河口)沿岸の沖積台地から発掘されました。 「椎柴小学校遺跡」 では、「朝日遺跡」(伊勢湾沿岸)で知られるパレススタイルの壺も出土し、弥生時代の東海地方との交流を覗わせます。 
 利根川下流域~河口は、利根川の付け替えを行った江戸期以降こそ難所になったものの、 香取海沿岸だった古代には、船の航行に適した場所だったため、2,000年以上前から畿内勢力が侵入したことが覗われます。                           【右上図は、約6,000年前の関東地方 霞ヶ浦河川事務所作成】

 銚子半島は、フォッサマグナの東縁に位置し、日本海が開いた時代の東日本側島弧の西縁に位置します。  ジュラ紀の硬い岩盤に支えられた銚子半島は、こうした列島弧の地殻変動の影響を受け、太平洋に大きく突き出した、独特の地形をしています。
 この地形が黒潮と親潮を沖合で突き合わせるため、暖流系と 寒流系のプランクトンを求めて、豊富な種類の魚がやって来ます。これを求めて、 暖流系と寒流系の野鳥と海獣が棲息しています。また、海流に種が運ばれて、暖流系と寒流系の植物が共生し、特に、数種の暖流系植物の北限の地となっています。
 人もまた、豊かな漁場を利用した漁業、海洋性気候を利用した農業、安定した海風を利用した風力発電、などの産業を発達させてきました。

 銚子半島は、ジオの恵みを活かしている生きもの達の暮らしを、間近に見て、体感できる場所でもあります。  

『日本ジオパーク秩父会議』参加報告

ChichibuKanban 『日本ジオパーク秩父会議』に行ってきました。日程と内容は以下の通りです。右写真は『ジオパーク秩父』の看板。

2月15日(水)記念講演
 (1) 「ジオツーリズムと地域活性化」佐藤喜子光氏(NPO法人地域力創造研究所)。
 (2) 「ジオパークの楽しみ方」渡辺真人氏(産総研)。
 佐藤氏:「地域らしさを活かした”おもてなし観光”による地域活性化」。
 渡辺氏:「日本列島に住むという事を考えると、災害と自然の恵みは一体。どうやって自然と関わって人が暮してきたか。ジオの説明でも、人が関わるとストーリーが膨らみます。」

2月16日(木) 事例報告とグループ・ディスカッション
 (1) 午前 :事例報告:島原糸魚川。両地域とも、ジオパーク認定後は観光客が増えているそうです。
 (2) 午後 : グループ・ディスカッション。テーマ「ジオパークと地域活性化」。
 「ジオパークで大切なのはジオツァー、ジオツァーで大切なのはガイド養成」と、話が進みましたが、他の地域はガイド養成に苦労しているようです。 

Nagatoro  銚子は、千葉科学大で安藤先生・坂本先生がガイド養成につながる講座を開いてくれています。これは、他地域に比べると本当に恵まれていると思いました・・・・・感謝。

2月17日(金)ジオツァー(午前中3時間)「宮沢賢治:青春の旅」 宮沢賢治は、盛岡高等農林学校時代、秩父を訪れ「地質調査」を行いました。賢治が訪れた場所を巡るジオツァーです。
 写真左は賢治も見た、秩父・長瀞の岩畳で、国の『特別天然記念物』に指定されています。長瀞は、三波川帯変成岩が露出し、岩畳や変形小構造が見られ、『日本地質100選』に選ばれたジオスポットです。

HumeinoIwa
 写真右は長瀞上流のポットホール。ポットホールは、かつて岩畳が荒川の川底だった時代に、奥秩父から流れてきて窪みなどに残されたチャートなどの硬い転石が、川の流れで回転することで徐々に、比較的柔らかい岩畳を削って、転石の周辺に穴ができる現象です。奥秩父の尖った山容の山々は、ジュラ紀の付加体で、秩父帯と呼ばれます。

 秩父は、約170万年前より隆起をはじめ、3段の河岸段丘が出来た盆地です。地質的に見所の多いところで、新第三系の秩父町層が露出する巨大な崖「ようばけ」も、『日本地質100選』に選ばれました。
 バスの中で地質の説明が多く、正直言って疲れました。

 ジオツァー最後の大田で、3段の段丘面の土地利用の話をしてくれました。
 大田という処は、秩父の町と同じく、下位の段丘のところにあり、「水が得られ、水田を作り、生活は豊かなところです。」「嫁に行くなら大田か蒔田」と言われていました。また、経済的に余裕があることにより、昔から、教育を受けた人が多かったようです。
 高位の段丘面での生活は、水が得られず、養蚕農家が多く、経済的には恵まれていなかったようです。「明治の『秩父事件』の時は、下位段丘の生活者には一揆参加者は少なく、高位段丘の生活者が多かった。」という、歴史・人間がらみの話をしてくれました。
 講演者・渡辺さんの話ではないですが、ジオツァーも人間が見えてくると、また違った楽しみも増えるようです。 
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