秩父帯

2012基礎講座 第9回 プレート・テクトニクス/修了試験

6月28日(木)午後7時~8時半に、 基礎講座の第9回が開催され、50名近い参加者がありました。 今回は、千葉科学大の学生さん達が、 教室前に幟旗を立て、テーブルを出して、受付などの事務処理を行いました。

 今回のテーマは『プレート・テクトニクス』で、安藤先生の講義です。 
 先ず、地球の層構造~地磁気を、「地学図表」P.29~33を参照しつつ解説。
 
 1.2万km離れた東太平洋海嶺で生まれた太平洋プレートは、8cm/年ずつ西に移動し、1.5億年かけて日本列島までやって来るそうです。
PlumeTechtonics1627 発散型境界では、玄武岩質マグマが供給され、東太平洋海嶺や大西洋の中央海嶺だけでなく、陸上でも、アフリカの大地溝帯やアイスランドにあり、これらに は、大規模な正断層が発達しています。  
 収束型境界のうち、島弧-海溝系は主として環太平洋にあり、地中海にもあります。

 日本列島の東側では、東北部は北米プレートに太平洋プレートが東から日本海溝で沈み込み(10cm/年)、中部は フィリピン海プレートに太平洋プレートが東から伊豆小笠原海溝で沈み込み、南西部はユーラシア・プレートにフィリピン海プレートが南から南海トラフで沈み込む(4cm/年)、収束型境界となっています。また、プレートの三重会合点が房総半島沖と静岡(糸魚川-静岡構造線の南端)の2箇所あります。この 三重会合点は、地殻変動が少く、安定していると言われています。
 
 東北日本と西南日本を分けるのは、阿武隈帯の西縁を通る棚倉構造線です。日本の大断層の一つ、フォッサ・マグナは、西縁が糸魚川-静岡構造線、東縁は(不明瞭ながら)柏崎-片貝線という説もあります。西南日本を南北に分けるのは、中央構造線です。中央構造線の北側を西南日本内帯、南側を西南日本外帯と呼びます。 中央構造線は、関東山地を通り、東端は(不明瞭ながら)大洗(茨城)とする説があります。
 
 中央構造線に接して、北に高温型の領家変成帯、南に高圧型の三波川変成帯が位置します。この何れも、ジュラ紀の付加体ですが、元々は別の場所にあり、白亜紀に左横ずれ断層で移動した結果、今では接していると考えられています。これらが変成岩になったのは、白亜紀の花崗岩マグマの貫入に依ります。三波川変成帯の南にジュラ紀の秩父帯、その南に白亜紀~第三紀の四万十帯が位置します。
 房総半島では、南の嶺岡山系が四万十帯、その北が秩父帯で、三波川帯は茨城にあるとされています。
 秩父山系の白亜紀の山中(サンチュウ)地溝帯の瀬林(セバヤシ)層にも、犬吠埼に似た白亜紀の浅海堆積物があり、秩父の方では恐竜の足跡化石だけでなく、骨も出土しました。 犬吠埼の足跡化石はどうでしょうか?
PlateTransForm1629Ed
 地球の歴史には、地殻を含むプレート移動の契機となるマントル対流だけでなく、内側の(液体になっている)外核との境界からのプルームの上昇流と、マントルの下降流が関係している、と考えられており、この理論を『プルーム・テクトニクス』と呼びます。 

 日本列島は、古来から現在の位置にあったのではなく、古代の南半球から移動して来たとされています。
 銚子から見た日本列島の歴史は、ジュラ紀の付加体としての愛宕山層から始まります。

 白亜紀(1億4550万年前から6550万年前)は、温暖化と高海水準で特徴付けられる激動の時代です。 アジア大陸への付加体だった日本列島の部品としての島々は、 白亜紀前期に、左横ずれ断層により、当時のイザナギ・プレートに乗って北上したのだそうです。 また、白亜紀i後期に、房総半島南部では、四万十帯がジュラ紀の付加体(秩父帯)の下に潜り込んで、一部で激しい隆起を起こしました。日本列島は、白亜紀には、2,000~3,000km(10~15cm/年) 北上したという説もあります。イザナギ・プレートは、白亜紀の終わりまでに全て陸側プレートの下に沈み込んで、消滅したということです。

 新生代第三紀漸新世(2,500万年前)~同中新世(1,450万年前)には、日本海が開く前後の活動があり、アジア大陸の辺縁から日本列島が分離、現在のフォッサマグナ部分で観音開き状に列島弧を約45°回転させました。この結果、フォッサマグナ部分が大きく陥没しました。この頃、火山フロントがあった銚子では、宝満と黒生で火山活動がありました。この時代、イザナギ・プレートに替わり、太平洋プレートとフィリピン海プレートが登場しました。

DSC01631 後半30分は、坂本先生出題の修了試験で、資料持ち込みなしの筆記試験でした。
 去年より受験した人が少ないことが、少し気になりました。

 答え合わせと合否の発表は来週です。合格したら、秋のマスター・コースに進級できます。
 マスター・コース を修了すると、ガイド・マスターの誕生です。
 今年の銚子は、ジオパークに申請していることもあり、ガイド・マスターが増えることを願っています。

 今年は、秋にもう1回、基礎講座の開催を予定しています。 今回、都合がつかなくて基礎講座に参加できなかった皆様、秋の基礎講座へお越しください。

『日本ジオパーク秩父会議』参加報告

ChichibuKanban 『日本ジオパーク秩父会議』に行ってきました。日程と内容は以下の通りです。右写真は『ジオパーク秩父』の看板。

2月15日(水)記念講演
 (1) 「ジオツーリズムと地域活性化」佐藤喜子光氏(NPO法人地域力創造研究所)。
 (2) 「ジオパークの楽しみ方」渡辺真人氏(産総研)。
 佐藤氏:「地域らしさを活かした”おもてなし観光”による地域活性化」。
 渡辺氏:「日本列島に住むという事を考えると、災害と自然の恵みは一体。どうやって自然と関わって人が暮してきたか。ジオの説明でも、人が関わるとストーリーが膨らみます。」

2月16日(木) 事例報告とグループ・ディスカッション
 (1) 午前 :事例報告:島原糸魚川。両地域とも、ジオパーク認定後は観光客が増えているそうです。
 (2) 午後 : グループ・ディスカッション。テーマ「ジオパークと地域活性化」。
 「ジオパークで大切なのはジオツァー、ジオツァーで大切なのはガイド養成」と、話が進みましたが、他の地域はガイド養成に苦労しているようです。 

Nagatoro  銚子は、千葉科学大で安藤先生・坂本先生がガイド養成につながる講座を開いてくれています。これは、他地域に比べると本当に恵まれていると思いました・・・・・感謝。

2月17日(金)ジオツァー(午前中3時間)「宮沢賢治:青春の旅」 宮沢賢治は、盛岡高等農林学校時代、秩父を訪れ「地質調査」を行いました。賢治が訪れた場所を巡るジオツァーです。
 写真左は賢治も見た、秩父・長瀞の岩畳で、国の『特別天然記念物』に指定されています。長瀞は、三波川帯変成岩が露出し、岩畳や変形小構造が見られ、『日本地質100選』に選ばれたジオスポットです。

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 写真右は長瀞上流のポットホール。ポットホールは、かつて岩畳が荒川の川底だった時代に、奥秩父から流れてきて窪みなどに残されたチャートなどの硬い転石が、川の流れで回転することで徐々に、比較的柔らかい岩畳を削って、転石の周辺に穴ができる現象です。奥秩父の尖った山容の山々は、ジュラ紀の付加体で、秩父帯と呼ばれます。

 秩父は、約170万年前より隆起をはじめ、3段の河岸段丘が出来た盆地です。地質的に見所の多いところで、新第三系の秩父町層が露出する巨大な崖「ようばけ」も、『日本地質100選』に選ばれました。
 バスの中で地質の説明が多く、正直言って疲れました。

 ジオツァー最後の大田で、3段の段丘面の土地利用の話をしてくれました。
 大田という処は、秩父の町と同じく、下位の段丘のところにあり、「水が得られ、水田を作り、生活は豊かなところです。」「嫁に行くなら大田か蒔田」と言われていました。また、経済的に余裕があることにより、昔から、教育を受けた人が多かったようです。
 高位の段丘面での生活は、水が得られず、養蚕農家が多く、経済的には恵まれていなかったようです。「明治の『秩父事件』の時は、下位段丘の生活者には一揆参加者は少なく、高位段丘の生活者が多かった。」という、歴史・人間がらみの話をしてくれました。
 講演者・渡辺さんの話ではないですが、ジオツァーも人間が見えてくると、また違った楽しみも増えるようです。 
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